半世紀前の思い出(短編集) ~ 佐伯 恭憲 氏(元理事営業部長) ~

半世紀前の思い出(短編集) ~ 佐伯 恭憲 氏(元理事営業部長) ~

半世紀前の思い出(短編集)
中山グループOB会会長 佐伯 恭憲 氏
(元株式会社中山組 理事営業部長)

創業80年に当たり何か思い出をとの依頼があり、入社してから半世紀以上過ぎ去ったいま、乏しい頭脳の記憶では満足なことが書けるだろうか。考えた末、恥をかくつもりで昭和30年前後の事を思い出しながら書いてみたいと思います。

大正12年創業以来、今日までの80年間の歩みについては、中山組70年史に詳細に記述されていますが、入社した25年当時は、石造2階建ての事務所、廊下続きで社長宅、12号線南側に木造平屋の独身寮、窓から眺める風景は一面の玉葱畑、道路は未舗装、空知川築堤も完備しておらず。昭和36年頃か、現在の金比羅神社のやや上流部にあった社宅に入居していた時、床上浸水の災害にあった事も今は懐かしい思い出です。

昭和23年に新築した中山組の石造り社屋

この時代、物資不足の深刻な時、現場乗り込み時には、宿舎建設に必要な資材、生活必需品は、本社で調達して持ち運んだものだが悪路の中での走行中、荷物の上で寝ころんでいた一人が、振り落とされるアクシデントがあり、よく怪我をしなかったものだと驚いたものです。 又、当時我々帳場の主要仕事に米の買い出しに一日の大半を取られる事が随分と多かったものです。理由は言えば、人力施工の為、常に数十人の労務者を雇用しているのに米が入手出来ず、一軒一軒農家を廻って米を分けて貰うためでありました。最悪の時には、麦飯食器一杯だけの一膳めしで我慢して貰うこともありました。今の飽食の時代には信じられないことかもしれませんが、あまりにも苦しい時で決して忘れ去ることの出来ない思い出いとして今でも脳裏から離れません。

次に、現弘三会長が、全道業界に先駆けて導入したブルトーザの事を述べてみたいと思います。70年史の一ページに勇壮なチハ車の写真が掲載されていますが、私も入社間もない頃、富良野布部地区の空知川切替、河道整理の現場で初めてチハ車を見た時、その威力に圧倒され只唖然としたものであります。今だかって見たこともない戦時中の怪物戦車が改造され形をかえて轟音を立てながら忽ちにして川の流れを変えてしまう。まさに土木工事の圧巻でありました。

改良ブルトーザー(チハ車)により施工した空知川改修工事

可搬式発電機

ブル輸送の思い出として、鉄道輸送され富良野駅から布部までの往復時、陸送するのが高速走行の為かエンジンガ過熱し途中何回か水をかけながら陸送したこともあります。その後ロケと称するブルも導入され小規模工事の施工に、また可搬式発電機による山間、僻地の現場で工期の短縮にどれほど貢献してくれたことか枚挙にいとまがありません。

次に昭和40年頃から始まった道営圃場整備事業についても述べてみたいと思います。

水田の区画を大型化し農業機械を導入するのが目的の事業でしたが、当初は秋工事と称して稲の収穫が終了してからブルをいれて区画整理を始める工程が、秋口の天候に左右され稲の取り入れ作業がなかなか終わらず、はさ木が片づくころには小雪もちらつく季節となることから、無理をして工程を上げるためにブルを入れると、表土が粘土化して春耕に支障をきたすと農家より工事の一時中止を要求される事が再三ありました。当時、道の圃場整備係長、OBの島昌治氏、現場監督の総師であった樫野喜明常務らも、農家との調整に随分と苦労された様でした。

翌春になって各工区が一斉に仕上げにかかる為、今度はブルの不足をきたし各業者、各地でのブルの引き抜き合戦がしばしば生じたこともありました。また、当時機輌部次長藤中護氏の考案による湿地ブルより更にキャタピラの巾を広くした超湿地ブル(キャタ巾1.2〜1.3m位だったか)が出現し、湿地帯、泥炭地帯での施工に能力、威力を一段と発揮した事をなつかしく思い出します。

何年頃からか夏季休耕田として通年施工に切り替わってからは、採算面でも成り立つようになったと喜んだものです。新規事業のため精密なる歩掛もなかった様で、我々業者も出来るだけのデータ作成に協力し関係機関、関係者と歩掛の基礎づくりに論議した事も再三あったと思い出します。

思い出は走馬燈の如く、山の如く、数々あれど、僅か2〜3の事しかき記述できない申し訳なさはありますが紙面の関係もありお許し頂きたいと思います。

温厚篤実な人、当時の故中山吉次社長、豪放磊落な人、故中山外次専務(私が一番恐ろしかった人)、今も色々お世話になっている中山弘三会長はじめ、数多くの上司・先輩にいただいたご指導は今でも私の貴重な財産であると感謝しております。

今まで培われた中山組80年の栄光ある伝統が、これからも風化されることなく脈々として後世にに引き継がれんことを願ってやみません。